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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)4137号 判決 1982年5月13日

原告 井部栄吉

右訴訟代理人弁護士 山本満夫

被告 折田勝喜郎

<ほか四名>

右五名訴訟代理人弁護士 中村忠純

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告に対して、

(一) 被告折田勝喜郎は別紙物件目録記載の土地を、

(二) 被告中西一子は同目録記載21・22の土地を、被告折田美子は同目録記載23の土地を、被告奈良坦子は同目録記載24ないし26の土地を、被告常深豊子は同目録記載27・28の土地を、

それぞれ明渡せ。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録記載の各土地は、もと訴外亡折田茂松(以下「茂松」という)の所有であった。

2  茂松は、昭和一四年六月一日、原告に対し、別紙物件目録記載の各土地を、耕作の目的で、期間は右同日から昭和二一年五月三一日までと約定して賃貸し、以来原告は別紙物件目録記載の各土地を耕作してきた。

3  昭和一九年、小笠原諸島の住民は日本政府により強制離島させられ、終戦後、小笠原諸島は連合軍の直接統治下におかれたが、昭和四三年六月、日本国にその統治権が復帰した。

4  茂松は、昭和四四年三月三〇日死亡し、被告折田勝喜郎(以下「被告勝喜郎」という)は別紙物件目録記載の1ないし7、9ないし12、14、16ないし20の、同中西一子は同目録記載21、22の、同折田美子は同目録記載23の、同奈良坦子は同目録24ないし26の、同常深豊子は同目録記載27、28の各土地の所有権を相続により取得した。

5  原告は、前記2の賃借権の期間が昭和二一年五月三一日に満了していたので、小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律(以下「小笠原措置法」という)第一三条第一項に基づき、被告らに対して、いずれについても遅くても昭和四五年四月三〇日までに到達の書面で、各被告が取得した土地について、耕作の目的で賃借する旨の意思表示をなした。

6  被告勝喜郎は別紙物件目録記載21ないし28の各土地を占有している。

7  よって、原告は、小笠原措置法第一三条による特別賃借権の設定に基づく賃貸人の義務の履行として、被告勝喜郎に対して、別紙物件目録記載1ないし7、9ないし12、14、16ないし20の、同中西一子に対して同目録記載21、22の、同折田美子に対して同目録記載23の、同奈良坦子に対して同目録記載24ないし26の、同常深豊子に対して同目録記載27、28の各土地の引渡しと、小笠原措置法第一三条第八項により対抗力ある特別賃借権に基づき、被告勝喜郎に対し同目録記載21ないし28の各土地の引渡しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2の事実のうち、茂松が別紙物件目録記載16、17、18の各土地を原告に賃貸した点は否認し、その余は知らない。同目録記載16の土地は沖村小学校の菜園であり、同目録記載17、18の各土地は茂松が家作を建てていた。

3  同3、4、5の事実は認める。

4  同6の事実は否認する。

三  抗弁

1  解除

原告が特別賃借権の設定された日から現在に至るまで現地に帰島せず開墾、耕作等に着手しないので、被告らは、昭和五一年一二月三日、小笠原措置法第一四条第二項の東京都知事の承認を受けて、同月四日、別紙物件目録記載1ないし7、9ないし12、14、19ないし28の各土地についての賃貸借を解除する旨の意思表示をなし、右意思表示はそのころ原告に到達した。

2  権利の濫用

茂松は、生来身体虚弱で農耕に従事し得なかったため、その所有農地の殆んどを原告に耕作の目的で賃貸し、原告は、大勢の使用人を使って耕作し、砂糖キビの栽培を行っていたが、統治権復帰後、被告勝喜郎、同中西一子の長男修一郎、同奈良坦子一家は帰島し、別紙物件目録記載14、19、20の各土地を開墾し、耕作して生計を立てている。他方、原告は、従来とて使用人をして農耕に当らしめ、自ら農耕に従事したわけではなく、強制離島後は内地に引揚げ立派に生計を立てており、三十年余放置され荒廃した土地の開墾に必要な稼働は到底無理であるため、帰島し得るに拘わらず現在に至るも帰島せず、もとより開墾に着手するでもなく荒地として放置し、ただ特別賃借権に基づき別紙物件目録記載の各土地の引渡を請求することは、権利の濫用である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2  抗弁2の事実のうち、別紙物件目録記載14、19、20の土地を被告勝喜郎が占有していること、原告が同目録記載の土地を開墾していないことは認め、その余は否認し、権利の濫用であることは争う。

五  再抗弁

1  小笠原措置法第一四条第二項の解除は、特別賃借権者の相当な期間の不耕作を解除原因、即ち、実体上の効力要件とするものであり、右にいう特別賃借権者の不耕作とは特別賃借人において耕作可能であるにもかかわらず正当な理由なく耕作しない場合であって、土地所有者の債務不履行や妨害によって耕作できなかった場合は含まれないと解すべきである。

なお、右条項による解除には東京都知事の承認を要することになっているが右承認は行政政策上から解除の効力要件の一つに付加した(手続的要件)にすぎず東京都知事の承認があるからといって右特別賃借権者の不耕作という実体要件についての裁判所の判断を排除するものではない。しかして本件において原告が土地を相当期間開墾、耕作できなかったのは、原告の責任ではなくもっぱら次のような被告らの債務不履行や妨害により作出されたためである。

(一) 被告らは、賃貸人として、原告に対し、特別賃借権が設定された日から別紙物件目録記載の各土地を引渡す債務を負担しているのに、被告らは、右土地についての特別賃借権の成立を否認し、右土地の引渡しを拒否した。原告は、代理人井部恒夫を通じ、昭和四六年六月、七月頃及び秋頃の前後三回にわたり、被告らの代表、被告勝喜郎との間で、右土地の引渡しについて協議をしたが、被告らは、右土地の約二〇パーセントで、しかも耕作不適地のみを賃貸する、右提示条件を承知しないならば土地を使用させないというもので、原告の到底納得できる条件ではなく協議は不調に終った。次に、昭和四八年一一月、原告は、被告らを相手方として、東京簡易裁判所に原告が特別賃借権を有することの確認等を求めて調停の申立(同庁昭和四八年(ユ)第二五二号事件)をした。しかし、被告らは、右調停においても従前の主張を繰り返すばかりで合理的な解決案を何一つ示さなかった。従って、原告の不耕作状態は、あげて被告らの土地の引渡債務の不履行に起因するのである。

(二) 被告勝喜郎は、小笠原措置法が制定された当時、二〇才すぎの独身者で、定職らしきものはなく身軽であった。そこで、別紙物件目録記載の土地に原告のため特別賃借権が成立し原告が耕作権を有することを知りながら、母島に帰島して右土地の中でも特に耕作に適した土地の多くを占有し、その占有の既成事実により、右土地に対する原告の立入と耕作を積極的に妨害した。従って、原告の不耕作は被告勝喜郎の抗争妨害に起因する。

2  仮に、小笠原措置法第一四条第二項の東京都知事の承認は、その承認によって当然解除の効果が発生し、解除の無効を争うためにはその承認の取消又は無効を争うべきが原則であるとしても、本件における東京都知事の承認は、原告の不耕作状態が、前記1のとおり承認の申請人である被告らの土地の引渡拒絶に起因した事実を看過してなされたものであり、著しく違法で妥当性を欠くものであるから、当然無効であってその効力を生じない。

3  仮にしからずとしても、前記1(一)で述べた経緯、さらに本件訴訟中においても被告らは、別紙物件目録記載の各土地の引渡を拒絶し、原告の不耕作状態を自ら現出しておきながら、その不耕作を理由に昭和五一年三月一七日東京都知事に対して解除承認の申請をなし、その承認を得たのであるから、被告らの行為は、著しく背信的で公序良俗、社会正義に反する賃借権の消滅のさせ方で権利の濫用であり、東京都知事の承認があっても、例外的に、被告らは原告に対し賃借権の消滅を主張し得ない。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の冒頭部分、再抗弁2、3は争う。

小笠原措置法第一四条第二項の「設定された日から相当の期間を経過してもなおその賃借権に係る土地について耕作をしていない」ことは、東京都知事が同項による承認を与えるについての要件であり、特別賃借権に係る賃貸借の解除権の発生ないし行使の実体的要件をなすものでないから、東京都知事の承認を受けている限り被告らの為した賃貸借の解除は有効で、原告が被告らの解除の無効を主張するには必ず承認の取消を求めなければならないから、原告の再抗弁1、3の主張は失当である。

仮りに、小笠原措置法第一四条第二項及び東京都知事の承認の効力を原告の主張のように解するとしても、原告の土地の不耕作状態は被告らの責に帰すべき事由によるものではなく、東京都知事の承認に違法、無効事由はない。

2  再抗弁1(一)の事実のうち、被告勝喜郎が原告の代理人井部恒夫と引渡すべき土地の範囲につき数回に亘り協議したこと、原告が調停の申立をしたことは認め、その余は否認する。

原告の特別賃借権の申入れの土地の中には、昭和一九年三月三一日当時、原告が小作権を有していない土地が含まれていたこと、及び統治権復帰後被告らは小笠原に帰島し農耕に従事する方針を立てたので、昭和四五年秋頃の引渡すべき土地の範囲についての協議の際、被告勝喜郎は原告に対し、約五万三〇〇〇平方メートルの土地の引渡を申出たが拒絶された。

昭和四六年春頃、東京都の都営住宅用地買収交渉が始まり、被告らに対し、別紙物件目録記載の土地を含む沖村字元地の所有地約一万六〇〇〇平方メートルを代金約一億円で買収の話がでたので、被告らは、原告に対し、五〇〇〇万円の金員と約一万五〇〇〇平方メートルの土地を贈与するかわりに、小作権の放棄を求めたが、終局的には、原告が一億五〇〇〇万円の支払を要求したため、話し合いは決裂した。

調停においても、原告が終始全土地の引渡を求め、被告らの調停案に応じなかったのであり、被告らは、原告の土地の引渡要求を全面的に拒絶したことはない。

3  再抗弁1(二)の事実は否認する。

被告勝喜郎は昭和四五年四月より二年間横浜市で営農研修を受けた後、昭和四七年四月帰島し自力開墾に着手し、昭和四八年一月には、都営住宅の建設も行われ入居申込受付中であり、その他医療施設や公共施設も整い生活条件も完備したので、原告に対し帰島して耕作に着手することを催告したが、原告は応じなかったものである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、3、4、5の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、茂松と原告との間で別紙物件目録記載の各土地について耕作を目的とする賃貸借契約が成立したかどうか判断する。《証拠省略》によれば、茂松は、昭和一四年六月一日、原告に対し、別紙物件目録記載1ないし7、9ないし12、14、19ないし28の各土地を耕作の目的で、期間は右同日から昭和二一年五月三一日までと定めて賃貸し、以来原告が強制離島まで右各土地を耕作していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。原告は、同目録記載16ないし18の各土地も右賃貸借契約の目的である旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。かえって、《証拠省略》によれば、昭和一九年頃、同目録記載16の土地は、沖村小学校、原告、藤田鳳全、山本金吾らが宅地として使用していた土地の一部であること、同目録記載17の土地には原告の倉庫及び佐々木富平の住宅があり宅地として使用されていたこと、同目録記載18の土地は原告の倉庫があり宅地として使用され耕作されていなかったことが認められ、右事実によれば、同目録記載16ないし18の各土地は耕作を目的として原告に賃貸した土地ではないことが推認される。

三  次に、被告勝喜郎が別紙物件目録記載21ないし28の各土地を占有していると認めるに足りる証拠はない。かえって《証拠省略》によれば、被告勝喜郎は同目録記載21ないし28の各土地を開墾していないこと、右各土地はギンネムの木によりジャングルとなっていることが認められる。

四  抗弁1(特別賃借権による賃貸借の解除)の事実は当事者間に争いがない。

五  そこで、再抗弁について判断する。

1  まず、小笠原措置法第一四条第二項の「特別賃借権を有する者がその設定された日から相当の期間を経過してもなおその賃借権に係る土地について耕作をしていないとき」の意義について検討する。小笠原措置法一三条による特別賃借権は、小笠原諸島の荒廃した現況及びその立地条件に鑑み、旧島民の本土引き揚げ当時存在していた農地の耕作権を保護し、彼らの安定した生活基盤を保証して彼らの帰島を促し、旧耕作地を開墾耕作させて農業を興すことで小笠原諸島の早期の復興をはかるために認められたものである。そこで、現実に賃借人が小笠原諸島へ行って賃借土地を農耕の用に供していなければ、地主に対し特別賃借権の負担を強いる合理性に欠け、また不耕作の状態が続き土地が樹林化するにまかせることは小笠原諸島の復興の妨げともなるのであって、かように、復帰後の小笠原諸島における賃貸借関係を合理的に調整しかつ小笠原諸島の早期の復興をはかるという公益的見地から小笠原措置法第一四条第二項の解除権が設けられたものと解される。

従って同項にいう「相当の期間を経過してもなお……耕作をしていないとき」との規定も、右の立法趣旨から解釈されるべきである。確かに同項は「正当な理由なく」耕作していないときは規定していない。しかしながら、小笠原諸島の早期復興を図るという公益的な目的があるとはいえ、一旦賃借権を取得した者から同人の権利を奪う結果になるわけであり、また、不可抗力によって賃借権者が「耕作していない」場合は勿論、その他賃借権者の責に帰すべからざる事由によって「耕作していない」場合において解除権を認めても右の早期復興に資するとは到底いえないのであって、かかる場合にも解除権を認める合理的な根拠はないといわざるを得ない。

従って、同項にいう「耕作していないとき」とは賃借人において耕作が可能にもかかわらず耕作をしない等「正当な理由のない」不耕作に限ると解さるべきである。

2  次に右にいう「正当な理由のない不耕作」という要件は単に東京都知事が小笠原措置法第一四条第二項の承認を付与する際に判断すべき事項と解すべきか、あるいはそれ以上に右要件が解除権の発生ないし行使についての私法上の実体要件でもあると解すべきであろうか。

この点について、ほぼ同趣の規定である農地法第二〇条と対比し検討するに農地法二〇条は第一項において農地等の賃貸借の当事者は知事の許可を受けなければ、賃貸借の解除等をしてはならない旨定め、同条第二項において右の許可は以下各号にかかげる場合でなければしてはならない旨規定し、右許可に際し、知事の考慮すべき事項を法定し、更に同条第三項において右の許可をするにあたって都道府県農業会議の意見を聴取しなければならない旨規定しているのに対し、小笠原措置法第一四条第二項においては東京都知事の承認に際し相当期間の不耕作という事項の外考慮すべき事項について何ら法定されておらず、また東京都知事の承認に関する手続についても、同条第四項、小笠原諸島における権利の調整等に関する政令第一七条、小笠原諸島における土地に関する権利の調整等に関する政令の施行に伴う特別賃借権に係る公告による申出の掲載事項及び特別賃借権の譲渡の許可等の申請書の記載事項を定める省令第二条により、特別賃借権に係る賃貸借の解除をする事由等を記載した申請書を提出することの外、農業に関する専門的機関の意見聴取といった手続規定もない。従って右承認に際し東京都知事としては、土地不耕作の理由も一応は考慮するとしても解除権の行使によって農地が土地所有者に返還されることが小笠原諸島の早期復興にとって相当であるか否かという行政目的にもっぱら力点が置かれるといった傾向は否定しえず、そのため賃借人の保護に欠けるといった事態の生ずることも予想されなくはない。しかしながら前記小笠原措置法の立法趣旨及び「正当な理由のない不耕作」という要件の存否について東京都知事の承認という手続過程において一応の認定、判断がなされることにより、賃借人が賃貸人の一方的な解除によって不利益を蒙ることはないといえること、更には行政庁の行為の公定力と承認処分の取消訴訟による権利救済の余地のあること等にも照らせば、本件において「正当な理由のない不耕作」の要件は、東京都知事の承認の要件であると解するのが相当である。しかして弁論の全趣旨によれば、本件において東京都知事の承認処分は取消されていない(取消訴訟は昭和五六年五月頃取下げられた)ことが認められるところ、原告の再抗弁1のうち、「正当な理由のない不耕作」の要件をもって、被告の解除権の発生ないし行使についての私法上の実体要件でもある旨の主張は採用しない。

3  ところで、原告は、再抗弁2において右承認処分を当然無効とすべき事由(その詳細は再抗弁1を引用)、即ち本件土地の不耕作について正当な事由(原告の責に帰すべからざる不耕作)を看過した違法が存在すると主張するので検討する。

(一)  被告勝喜郎が原告の代理人井部恒夫と引渡すべき土地の範囲について数回協議したこと、原告が昭和四八年一一月東京簡易裁判所に調停の申立をしたことは当事者間に争いがなく、原告が昭和五〇年五月、本訴を提起し、被告が争っていることは記録上明らかである。

(二)  《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められる。

(1) 別紙物件目録記載の各土地のうち、1ないし7、21ないし28の字船見台の各土地(以下「船見台の土地」という)は、傾斜が急で、谷間があり、しかも石が多いが、9ないし12、14、16ないし20の字元地(以下「元地の土地」という)は、傾斜がゆるやかで地味も肥えていて農耕に適していること。

(2) 昭和四五年四月の原告の特別賃借権の申出に対し、被告らは拒絶の理由を明記せずに原告の申出を拒絶する旨の回答を書面でしたが、その回答に対し、原告は、拒絶の理由の問い合わせ等をしなかったこと。

(3) 被告勝喜郎は、小笠原諸島の復帰時頃二六才の独身者であり(昭和一六年一二月一三日生)、帰島して農業に従事しようと決意して従来の勤務先を退職し、昭和四五年四月から昭和四七年三月まで横浜市で園芸の仕事を学び、その間東京都の帰島説明会に出席するなどして帰島の準備をすすめ、昭和四七年四月、数年間の生活資金、日用品、農耕具等を持参して帰島し、別紙物件目録14、19、20の各土地を自力開墾し、耕作していること。

(4) 被告勝喜郎は、帰島に際し、特別賃借権のことで原告と話をつけたいと思い、昭和四六年頃、原告の長男である井部恒夫と三回程協議をしたが(協議をしたことは当事者間に争いがない)、原告は、特別賃借権を有しているので全部の土地の引渡を要求し、被告勝喜郎も船見台の土地五、六〇〇〇坪は貸してもよいが他は拒否すると主張し、原被告らとも引渡しを受ける土地の面積が一万五〇〇〇坪までと譲歩したが、その場所について被告勝喜郎が元地は賃貸できないと譲らず、また、土地の一部(別紙物件目録記載14、19、20の一部分)について東京都の買収があり、その買収金の分配割合の争いもからんで、協議がおりあわないうちに被告勝喜郎が帰島してしまい、その後原被告ら間で協議がなされなかったこと。

(5) 昭和四八年には、母島に診療所、都営住宅、小学校が一応整備され、開墾耕作のため帰島しようとすればできない状態ではなかったこと。

(6) 昭和四八年一月、被告勝喜郎は原告に対し、同年三月三一日までに営農のため帰島するよう、また、母島で契約の諸条件について協議する旨の催告をしたこと。

(7) 調停において、被告勝喜郎は、船見台の土地五〇〇〇坪に限り賃貸することを主張し、原告は元地を含めて総土地の六〇パーセント位は賃貸してほしい旨主張し、不調になったこと。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(三)  右認定事実及び当事者間に争いのない事実によれば、被告勝喜郎が原告に対し特別賃借権の成立を争い、原告より先に帰島し、耕作に適した土地を開墾、占有し、本訴の継続中に東京都知事の承認を得て解除の意思表示をしたことが認められるが、原告の主張するところの被告勝喜郎が原告の帰島を積極的に妨害したことを認めるに足りる証拠はない。また、原告の主張する原告の不耕作状態が被告らの土地の引渡債務の不履行に起因する点については、小笠原措置法第一三条第三項、第四項、小笠原諸島における土地に関する権利の調整等に関する政令第一三条により、土地所有者は一定の事由がなければ特別賃借権の申出を拒絶できず、かつ、土地所有者が自己の耕作の用に供することは拒絶理由とならないというべきところ、被告らが原告の特別賃借権の申出に対し拒絶の意思表示をした理由としては自己使用以外にはこれを認めるに足りる証拠はない即ち正当な拒絶理由とはならないので、原告の特別賃借権は、強制離島前に耕作していたすべての土地について、昭和四五年六月三〇日(申出日から六〇日経過した日)に成立していたこと、しかも当該土地は荒廃し、ジャングル化している(《証拠省略》により認められる)のであるから、被告らの土地引渡義務を問題にするまでもなく、原告が帰島して開墾に着手すればその占有を取得しえたというべきであり、本件では、原告の特別賃借権の申出から被告勝喜郎が帰島するまで約二年の期間があったこと、さらに、《証拠省略》によれば、原告は小笠原諸島の復帰時頃、約七〇歳で、その家族は一〇歳年下の妻、長男恒夫(昭和三年一〇月二二日生)夫婦、孫二人であり、長男は農業の経験がなく帰島のための営農の指導、講習会にも出席したことがないことが認められることを総合すると、原告の土地の不耕作状態は、もっぱら、原告の法律の解釈の誤解、帰島して営農することについての意思及び準備の不足からきたものといわざるをえず、被告らの引渡債務の不履行ないし妨害に起因することを認めるに足りる証拠はない。

従って、本件土地の不耕作に関しては、被告らが原告の土地の不耕作状態を自ら現出したものではない。よって東京都知事の承認処分を当然に無効とすべき事由も存在しないといわざるをえず、他に右承認処分を実体的にも手続的にも無効とすべき事由を認めるに足る証拠はない。

4  なお、再抗弁3についても前記認定の事実に照らせば被告らの解除の意思表示をもって権利の濫用にあたるとは解されず他に右事実を認めるに足る証拠はない。よって、再抗弁はいずれも理由がない。

六  以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 根本久 裁判官 都築民枝 裁判官青山邦夫は転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官 根本久)

<以下省略>

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